夏の太陽の下へ


 

第3話 挟まれる想い (1)

 

   

 恵美香、水菜、そして洋と楽しく談笑した翌日は、光二にとって文字通り怒濤の日々が過ぎて行った。夏期講習の第二期は、五教科を二時間ずつ毎日こなすカリキュラム。脳内に膨大な内容を叩き込むのはかなりきついが、演習の時間帯にはそれを上手く活用するようにしなければならなく、頭をフル回転させなければならない。そのため授業に付いていくのは、かなり必死であった。
 何時間にも及ぶ授業によって、疲労のために睡魔に襲われることも多々あり、先生や友達に起こされたこともある。家に帰ったらすぐにベッドに飛び込みたいが、その誘惑を振り切って宿題をやるために椅子に座り込む。
 そんな日々が六日続き、ようやく講習のない日曜になった。さらに嬉しいことに、盆ということで塾自体も休みとなり、講習から解放される束の間の夏休みを得ている。
 久々に光二は時間を気にせず起きると、すでに昼近く。居間に行ってみると、両親はどこかに買い物に出ており、昼は適当に食べていて、というメモが残されていた。
 欠伸をしながら、冷蔵庫を覗いてみる。昨晩のご飯の残り、そして冷凍食品が少しあるだけ。光二の食欲をそそるものはない。溜息を吐きながら、ドアを閉じる。
「出かけるなら、もう少し何か置いていってくれよ」
 近くのコンビニで何か出来合いのものを買ってきて、お金でも請求しようかと考える。
 おにぎり、サンドイッチ、パスタ、丼もの――、そんなことを考えていると、ふとあることを思いつく。
 出来合いのものなら、温かく、美味しいものがいいに決まっている。だがチェーン店の丼ものは、すでに塾の講習中に食べ尽くしている。ならば――と思い、腹の減り具合と相談した。まだ我慢できる範囲だ。
 思い立ったら、義樹程ではないが行動は早い。着替えを済ませ必要なものを持って、家を出る。そして自転車に飛び乗って、ペダルを漕ぎ始めた。


 目的地に着いた頃はちょうどランチタイムの真最中であった。
 街の片隅にある喫茶店ソレイユ・デ・レテの店の前では数少ない駐車場はすべて埋まり、自転車も何台か置いてある。それなりに混んでいるようだ。
 珍しく後先考えずに行動したことを若干後悔しつつも、扉を押して、中に入った。
 心地よい音楽が耳に入ってくる。中を見渡せば案の定、席は埋まっていた。椅子に座って待っている客はいないが、待つのは避けられなさそうだ。
「いらっしゃいませ。……あれ、光二君? こんな時間帯から来るのは初めてだね」
 洋が空のお盆を片手に笑顔で出迎えてくれる。光二は少し照れくさそうに返事をした。
「初めてですね。ちょっとお昼をここで食べてみようかなって思って」
「それは嬉しいことを。ありがとう。けどこの通り満席だから、少し待つことになるけど……」
「あら、高山君?」
 後ろから、可愛らしい声が耳に飛び込んでくる。目を丸くして振り返り、ウェーブがかかった髪の少女を見た。
「どうしたの、こんな時間に」
「池中じゃないか。それはこっちが聞きたい」
 恵美香の出現に驚きを露わにする。彼女は店の一角に目をやった。その先には水菜がストローでアイスティーを吸っている。
「今日は早く来たのよ。私、午後から親戚の家に行くから、その前に会おうって約束していて。もしかして席をお探し? それなら私、もう帰るから、その席にどうぞ座って。あ、でも、義樹君が来るとなると……」
「いや、あいつは来るなら先週と同じ時間くらいだから、一席で大丈夫」
 慌てて首を横に振り、義樹の存在を否定する。だがそれ以上に、何故か鼓動が速くなっているのに気になった。
「それなら水菜と一緒にどうぞ。あの子、まだ洋さんに質問があるからここにいるわ。あら、何か嫌なことでも?」
 恵美香が不思議そうな顔で光二の顔を覗きこんできた。あのくりくりした魅力的な瞳が、すぐ目の前にある。視線を少し逸らしながら返した。
「そ、そうじゃなくて、これじゃあ俺が追いだしたみたいに見られる」
「そうかしら。人によってはそうは捉えないかもしれないわ。水菜に話をしてくるわね」
 そう言って、恵美香は白い歯をこぼした。そして軽やかな足取りで水菜の元へと赴く。洋はいつのまにかに仕事の方に戻っており、入り口には光二だけが残ることとなる。
 恵美香が椅子に座り、水菜に声をかけた。そして話をしている最中に、光二の方を見たりする。水菜はこっちの方を見ると、ぎょっとしていた。そして何やら焦ったように、恵美香に口を開く。快活な音楽が流れているため、聞き取ることはできないが、どこかそわそわしているように見える。
 だが、一方で光二も若干顔が堅くなっていた。思いもよらぬ展開に、上手く頭が回らない。本当はただひっそりと洋のサンドイッチなどを食べようと思っただけなのだが。
 恵美香が椅子を引く音がした。お金を机に置き、ピンク色のバックを持ちながら、笑顔で水菜に手を振っている。半分腰を上げていた水菜だが、やがて肩をすくめながら、深く座りなおした。
 そして入り口近くで待っていた光二に近寄ってくる。
「水菜、相席歓迎するって」
「そうは見えなかったが……」
「照れているだけだから。私、たぶん来週も来られないから、義樹君に伝えておいてくれる?」
「俺、今日も盆の間もあいつと会う予定はないんだけど。洋さんに伝えた方が確実だと思うよ」
「そうかもしれないけど、洋さんに余計な負担を掛けたくないの」
「負担?」
 思わず疑問を口走ったとき、恵美香の顔に哀愁が漂っていた。何も聞かずに、ただ黙って飲み込んで欲しいと懇願しているように受け取れる。
「恵美香ちゃん、もう帰るのかい?」
 洋が皿を下げた合間に寄ってきた。恵美香はくるりと振り返り、表情を変えて微笑んだ。
「ええ、時間なので。ごちそうさまでした。また、遊びに来ますね」
「ありがとう。気をつけて行ってらっしゃい」
 軽く頷くと、光二の横を通り過ぎて、店から出ていった。
 そのドアが閉じかけているとき、外の風景が見えた。思わずそのまま飛び出したい衝動に駆られたが、光二のための水を持った洋がそれをやんわりと阻止する。
「光二君、席にどうぞ」
「は、はあ。でも……」
「すぐにコップを片づけるから」
「……わかりました」
 笑顔で促されるままに、光二は水菜が座っている机に連れてこられた。彼女は苦笑いをしながら、光二を出迎える。
「こんにちは。元気そうね」
「どうも。……席、失礼します」
 椅子に座ると、まだ仄かに温もりが残っていた。彼女たちはここで楽しく話をしていたのだろう。水菜は挨拶をした後は、手帳を開いて日程を確認したりしており、光二に対して特に気にしなく行動している。
 その様子を横目で見つつも、洋が空いている皿を片づけている間に、光二はメニューを開き、注文するものを選んだ。サンドイッチが数種類しかないが、どれも惹きつけられるものがある。
 とりあえず一番上に載っている本日のサンドイッチ≠注文した。前が立て込んでいるため、時間がかかるらしい。その間、水を飲んだりしながら、時間を潰していた。
 いつも学校でもマイペースに過ごすことが多いので、始めは気にならなかったが、次第に何となくだが苛立ちを感じ始める。
 おそらく水菜のせいだろう。彼女は極力視線を合わそうとしない。そして光二などいないかのように振る舞っている。さすがの光二も、その様子に見かねて口を開いた。
「……何か、俺が悪いことでもしたか?」
「していないけど」
「じゃあ、どうして避ける」
「避けていない。気のせいよ」
「そうは見えない。……まったくよ、そこまでしてくれると若干不愉快極まりないんだけど」
 ふてくされながら、直球で水菜に正直な感想を述べた。こう言えば、彼女は何かを感じ取ってくれると期待をしたからだ。
 水菜は目を伏せながら、仄かに頬を赤くしながら、声量を抑えた。
「……思春期の二人が男女でいたら、何か噂がたった時、面倒じゃない」
 それを聞いて、光二は目が点になった。まさかそんなことを気にしていたとは。
 急に沸き上がってきた想いがどうにも耐えきれなく、笑い飛ばした。
 水菜は光二の態度を見て、むっとする。
「何よ、その反応はないじゃない!」
「い、いや、今時そんなことを気にしている中学生なんているのかと思っただけさ」
「悪いわけ? ここら辺、私の中学のクラスメートも住んでいるのよ。女子はいいけど、男子とかに見られたらたまったものじゃない」
 確かにその言い分もわからなくないが、そこまで過剰反応するのはどうかと、光二は首を傾げそうだ。
「けどさ、例え見られたとしても、そいつらやクラスの友達と会う予定はあるの?」
「月末に文化祭の出し物の準備が……」
「月末っていうことは、あと二週間後くらいだろ。そんな昔のこと、話にあげる連中いるのか?」
「人って噂好きなのよ」
「それに別に会ったら会ったで、言い訳考えればいいだろ。従兄とか、相席せざるを得なかったとか、いくらでもあるだろ」
「そうだけど……」
 宥めても、意見を言っても、まだ何か反論を探そうとする。諦めが悪い、すぐに表情に感情が表れる――。そんな彼女を見ていると、光二の頭の中では誰かを思いだそうと躍起になっていた。過去に別れを余儀なくされた、幼い頃の思い出から。
 しばらく沈黙が続いた中で、洋がタイミングよくサンドイッチを運んできた。黙り込んでいる二人を見て、きょとんとしている。
「あれ、実はまだ二人はそんなに仲良くなかったの? 先週、とても意気投合して話をしていたから、気が合うのかと思った」
「いえ、ただ単に鈴原が照れ屋なだけです。洋さん、何か面倒なことになったら、ちゃんと証人になって下さいね」
「わかったよ」
 優しい笑みを浮かべながら、しっかりと返事をする。それを聞いて、やっと意地を張るのをやめたのか、水菜は視線を上げて、光二に合わせた。
「すみませんね、照れ屋で。洋さん、お水のお代わり、お願いします」
「はい、今、持ってくるね」
 アイスティーが入っていた空のグラスを下げ、席を離れる。
 一方、光二は目の前に現れた、美味しそうなサンドイッチに目を輝かせた。当たり前であるが、コンビニで売っているものとは違い、出来立てで、いい匂いが漂ってくる。新鮮で瑞々しい野菜と美味しそうなハムが、こんがりと焼けたパンに挟まれていた。また全体的な量も思っていたよりも多そうである。
「冷めないうちに、食べなさいよ。洋さんのサンドイッチ、すごく美味しいんだから」
 見とれている光二に対して、水菜は早くと促す。確かに出来立てに優る食べ物はない。
「そうだね、いただきます」
 手を合わせて挨拶をしてから、早速食べ始める。
 口の中に入れると、野菜とハムがパンに上手く合っており、素直に美味しいと言うことができる。洋の優しさも全て詰め込まれたであろう、サンドイッチ。それがひしひしと伝わってきた。
 そんな風に幸せそうに食べている光二を見ながら、水菜は微笑んでいた。
  

 


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