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見習い騎士の転換点

 

 

 

「これからあなたを監視させていただきます。覚悟はいいですね?」
 宿を出た途端に、目の前に現れた桃色の髪の少女はにっこりと微笑みながらそう言った。それを聞いた僕はすぐに状況が飲み込めなかった。
 急に少女は僕に近づき、目と鼻の先まで来る。ぱっちりとした瞳、桃色の長い髪のツインテール、そして膨らんだ胸に思わず呆けて、見とれてしまう。だが次の瞬間、足の上に体重がのし掛かった。
「痛っ……!」
「覚悟はいいですね? ちゃんと返事をしてください」
「は、はい……」
 少女はとても素敵な笑顔であった。だがどこかひきつっており、裏の感情が垣間見えた瞬間だった。

 そんな突然の出会いによって、憧れの騎士へ目指すことが急展開を見せることになるなど、当時の僕は思いもしていなかった。


 * * *


 カーテンの隙間から漏れ出る光が顔に当たり、薄らと僕は目を開けた。目の前にはいつも就寝前後に見ている天井。何かわくわくしたことが始まるわけでもない、平凡な一日の始まり――。
 そんな感想を毎日抱きながらも、起き上がり、支度をしてから、宿に付属している食堂へと向かった。
 比較的空いており、椅子に座ってから注文を取る。食事がくるまでは肘を付き、ぼんやりと外を眺めた。
 変わらない風景、変わらない日常、変わらない自分。それが一番いいはずだ。変化を求めれば、自ずと辛いことが待ち受けているのだから。
 ふと机に影が映ったので、もう食事を持ってきたのかと視線を上げようとしたら、桃色の髪が視界に入る。無言でその人から避けるように静かに席を立った。
「ちょっと、ここはあなたの席でしょ、ファンタ!」
 聞こえないふりをしながら、奥まった場所にある一人席を発見する。
「無視しないでよ! 聞こえているのでしょ?」
 何も聞こえない、何も見えない。黙々と歩んでいく。
「ひ、酷い……。これってあんまりだわ!」
 ちらりと様子を見ると、彼女は今にも泣きそうな顔を俯かせている。その姿にはさすがの僕も無視はできなかった。
「私が悪かったのね、そうなのね……」
 ぽろりと涙が頬に流れる。周りからのきつい視線が突き刺さってきた。本当は僕の方が被害者なのだが、これだとこちらが悪いと言っているようなものである。近くの二人席に腰を下ろして、溜息を吐いた。
「ジア……、とりあえず座って。目立つから」
「でも、ファンタは私のことを――」
「いいから座って」
 僕が諦めた表情をしていると、ジアの目元に溜まっていた涙は一瞬でなくなり、口元を緩めながら座り込んだ。
 わかっていた、どうせあの涙は嘘泣きだと。それでもやられる方は、世間帯としては痛いところだ。適当に体裁を保つのが無難と言ったところだろう。
「ねえ、ファンタ、今日はどこに行くの?」
「……ねえ、いつまで僕に付きまとうの?」
 運ばれてきたパンを食べながら、彼女のペースに乗らないように気を付ける。
「あら、言ったでしょ、然るべき時までって。いいじゃない、減るものでもないのだから」
「君がいると、気が散って集中できない。ただでさえ、僕はより多くの仕事をこなさなくてはならないのに……」
 これからのことを考えるだけでも頭痛がしてくる。水を飲みながら、また深く息を吐いた。
 見習い騎士である僕は、騎士になるための試験の一貫として、地方にあるイマージ村に飛ばされている。村で様々な仕事をこなし、その量と質によってある規定値を越えた段階で、次の試験へと受けられるのだ。
 つまり今の僕は騎士までほど遠い存在であり、ただの見習いなのである。
 いつか見習いが取れ、正式に騎士となれば、村の警護だけでなく、馬に乗って颯爽と駆けながら、城や国全体を守る重要な立場になるだろう。
 だが、騎士になるまでに、修行や試験をたくさん受けなければならず、今回の地方派遣が一つの転換点で、多くの時間を費やすらしい。一見、数年間それなりの仕事をすれば、試験を突破できるだろうと思われる。だが予想以上に手強い試験だ。
 村人の警護や不良を何十回蹴散らかしただけでは、全然及ばない。村の存続に関わる重大な出来事等を解決できれば、膨大な点数が付くらしいが、そんなことは滅多に起こるものではない。こんな平和な村では地道に点数を稼ぐ他はないだろ。
「ファンタ、特に用事がないのなら、少し付き合ってくれる?」
 僕は冷めた目でジアを見た。彼女は僕がこの村に赴任した当初から、何かと言いくるめて跡を付けたり、彼女自身の考えへと無理矢理持っていこうとする、迷惑極まりない少女である。
 なぜ監視するのか、これは試験と関係があるのかなど何度も聞いたし、はっきりとした返事もないので突き放しもしたが、なぜか最後は一緒にいるのだった。それほど彼女の図々しさは感嘆するものがある。
「何も言わないってことは、付き合ってくれるのね? よかった、こんなこと頼めるの、ファンタしかいないのよ」
 こんなこと――そう聞いて、あまりいい予感はしない。頭の中で急いで彼女から離れるように指令が出される。
 慌てて椅子から立ち上がった。だが、意外なほど強い力で左手を引っ張られた。
「さあ、一緒に行きましょう。あまり手を煩わせないで」
 誰もが卒倒してしまいそうな素敵な笑顔。しかし、だんだんと強く握られ、骨が軋むころには、たちまち真っ青になった。
「わ、わかったから! さあ、ジア案内してくれ」
 見習いが取れる云々よりも、いつまでこんな生活を続けるのだろうか……。
 先が見えない漠然とした不安が僕の心の中を覆っていた。
 部屋に戻って、急いで支度をし、最後に紺色のマントを羽織る。金色の髪がよく生えていると、ジアに言われたことがあった。そして日々の稽古を共にしている、腰より高い長さである見習い騎士の剣を持って宿を出た。
 木陰で黄緑色の瞳でじっとノートを見つめているジアを見つける。澄ました顔で立っている彼女はとても品のいいお嬢さんに見えた。白を基調とした服はそれを表だって主張しているのかもしれない。
 ジアは僕に気付くとノートを閉じて、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「さあ、ファンタ、行きましょう」
 今日はいったいどこへ連れて行ってくれるのだろうか。平凡な毎日を過ごしたい気持ちと、平凡ではない出来事を密かに楽しみしている想いが交錯しながらも、彼女に連れられて、ある場所へと導かれた。


「見て、素敵な薬草がたくさんあるでしょう! これを摘んで、売れば、いい値になるわよ」
「え……、最終的にはお金?」
「摘んだものは、このバスケットに入れてね」
 ジアは僕の突っ込みなどまったく意に返さず、黙々と一面に広がる薬草を摘み始める。
 連れて来られたのは村外れにある、一般人では中々気づかない場所だ。腰を下ろしてせっせと摘んでいる彼女を見下ろしながら疑問を投げかけた。
「ねえ、ジアはどうして薬草摘みを?」
「お小遣い稼ぎよ。それにこの村は薬草が不足しがちだから、少しでも貢献できないかって」
 時折見せる、真摯な表情はとても魅力的で、つい見とれてしまう。だが表情が一転し、含みのある笑みを浮かべてきた。
「ほらファンタ、早く摘んでちょうだい。遅いと次の場所に行けないでしょう?」
 彼女はここだけでも物足らず、他の場所にも行こうとしているのか。正直薬草摘みなど楽しくないので、逃げたいというのが本音である。
 その場をやり過ごすためにも、ジアへ返事もせず、薬草に手を付け、機械的に摘み始めた。その中で、どうすれば逃れられるかということに思考を回転し続けた。


 不意に風が吹き、木々がざわめく。よく見れば空は雲に覆われ、薄暗い雰囲気が漂い始めていた。暖かな空気から肌寒い環境へと急激に変わっていく。
「雨でも降るのかしら。いいわ、きりのいいところで、村に戻りましょう」
「わかった。それじゃあ、これでどう?」
 小さな山にしていたものをどさっとバスケットの中に入れた。その量を見ると、ジアは微笑んだ。
 だが突然、獣の鳴き声がすぐ近くでとどろいた。低く、重みがあり、若干癖のある鳴き声――それは最も危険な大型獣の鳴き声だ。
 聞いた瞬間に、僕の表情は一転して真っ青になった。
「ジア、急いで戻ろう。見つかる前に、早く!」
 それは当然の行為だ。あの獣に立ち向かえる人など騎士くらいで、見習い程度では歯が立たないだろう。ましてや僕はすでに手が震え始めている。どうにかできる状況ではない。
 だがジアの表情は険しくなっただけで、僕と違う雰囲気を漂わせていた。
「ジア……?」
「今の鳴き声は、誰かに対して威嚇している声。大型獣のすぐ近くに誰かいるわ」
「それって、その人がすごく危ないんじゃ……」
「そうね」
 彼女の顔は強ばっている。だがそれ以外にも何か思い詰めているものがあった。
 そんな彼女の腕を思わず握る。目を丸くして返された。
「何かしら」
「村に戻ろう。さあ――」
 軽く腕を引いたが、それを振り払われる。唖然としながら黄緑色の瞳を見つめると、静かに微笑んでいた。
「ありがとう、ファンタって本当に優しいよね」
「ジア……?」
「やらなければいけないことがあるから、先にこれを持って戻っていて。――いつも付き合ってくれて、ありがとう」
 何も言い返せずにいると、バスケットを無理矢理持たされた。そしてジアは踵を返して、走り始めた。
 彼女の背中がどんどん小さくなっていく。それをぼんやりと眺めて、立ち尽くしていた。
 ジアはどこに行くのだろうか。あの方向は村ではない。なら――いったい――。
 そんなことを考えていると、またあの遠吠えが聞こえた。鼓動が早くなる。ここですら身に危険が及ぶかもしれない。バスケットを抱えて、ジアとは逆方向に走り出そうとした。
 だが、唐突に彼女が走って行ってしまった方向に何がいるのか考えが及び、足を止めた。
「ジア、何がしたいんだ?」
 彼女が向かった先は獣がいる方向。誰もが逃げたいと思っている相手に、自ら向かっている。なんて無謀な行動なのか……、僕は頭を抱え込んだ。
 いや、実はまた別の道に曲がって、逃げていったのかもしれない。そう村に戻る最短距離の道があるとかで。僕より長くこの村にいるのだから、わかっている――。
「って……、違うに決まっているだろう!」
 バスケットを落とし、近くにあった木に拳をぶつけた。痛かった、だがそれ以上に自分の間抜けな考えと躊躇いに腹が立つ。
 そして次の瞬間、僕は剣をしっかりと握りながら、紺色のマントを翻して、走り始めた。


 しばらく走り、桃色のツインテールを見つけると、彼女の目の前に大型獣が悠々と立ち塞がっているのが目に入った。その足下には倒れ込んでいる青年の姿が。
 そしてジアは大型獣と対峙しながら、右手にノートと左手に腕の長さほどの小さな杖を持っていた。彼女から発せられる雰囲気はただものではない。こんなに張りつめた空気も出せる人だったのか――。
 獣の視線がこっちに振り向きそうなのを見て、慌てて大木の陰に身を潜める。とりあえず状況を知るために、そこからじっくりと大型獣を観察してみた。
 非常に大きく、あの視線の高さからは人間など赤ん坊のように見えるだろう。頭には大きな角、腰からは長い尻尾が生えている。ざらざらとした表面で色は濃い灰色であり、四本足でどっしりと構えていた。
 ちらっと見ただけでも、立ちすくんでしまうほどの威圧感がある。だがジアは果敢に立ち向かおうとしていた。
「彼から離れなさい!」
 高らかと声を発して、気を持っていこうとしているが、この獣は言葉が理解できるのだろうか。そうでなければ、この叫びも無駄に終わってしまう。
 だがそんな心配は杞憂であった。
「……私の楽しみを邪魔するな」
 獣の口から野太い声を出されたのだ。人語を喋る獣など、初めて見た。この国には何匹かいるらしいが、実際に見たという証言はほとんどない。なぜなら、その証言を聞く前に、すでに話せる状態ではなくなってしまうから――。
 どっと汗が噴き出してきた。今、僕は一生の中で最も危険な地帯に踏み入れているのではないか。
 だが、彼女は真っ向から対立している。震えのない声で言葉を紡いだ。
「楽しみですって? 人間をいたぶることが楽しみだなんて、嫌な性格ね」
「それなら、私たちを楽しんで作り、必要になくなったら殺そうとしていた人間は何様だ!」
 次の瞬間、ジアに向けて、獣は鋭い爪を振りかざした。
 それを彼女は後ろに跳躍してかわす。華麗にも俊敏な動きは予想以上だ。密かに鍛えているのかもしれない。
 後退しつつも、杖を獣に向けて、口を動かしながら軽く縦に振った。閃光が放たれ、獣の動きが一瞬鈍くなる。
 続けて別の魔法を出すためにか視線をノートに落とすと、その隙に獣は連続攻撃をしかけてきた。ジアは歯を噛みしめながら、必死にかわす。だが少し動きが遅かったため、服をかすめる。
 そのような攻防がほんの一時の間に幾度も続いた。息を吐く暇もない。ただ僕はじっと気配を消して見ているだけだった。
 しばらくして、ジアが意図的に間合いを作ったところで、獣は一度爪を下ろした。彼女は荒々しく呼吸をしながら、血が滴っている左腕を右手で持つ。鋭い視線だけは衰えていない。
 なぜ彼女はそこまでして危険な戦いに身を投げ出すのか、まったくわからなかった。不意に獣が思い出したように口を開いた。
「そうか、お前は昔俺に最も楯突いた男女の娘だな?」
 忌々しそうに獣は腹に一直線に伸びている深い傷を見た。
 あれほどの傷を負わせる人がジアの両親? それは言い換えれば、彼女自身もそれなりの力の持ち主なのではないか。
「あら、よくわかったわね。十年前、あなたにその傷を負わせたのは私の両親よ」
 傷を負っているにも関わらず、背筋を伸ばしながら、しっかりとジアは口を開いた。
「十年前、あなたが村に踏み入れようとして、多くの人が抵抗し、傷つけられ、死者も出したわ。そこで私の両親はあなたを全身全霊で倒した――はずだった」
 語尾が強くなり、唇を噛んだ。遠い過去を振り切るかのように、首を横に振った。
「なのに、あなたは今、ここに存在している! どうして、二人の命を持ってしても、まだ生きているのよ!」
 杖を真っ直ぐと獣へと向ける。そこにはいつものあどけない笑顔などどこか置いていった、憎しみという感情を露わにした少女がいた。それを見るのがいたたまれないほどに――。
「これ以上、村に近づくのなら、今度は私があなたをこの村から守る。ジア・イマージの名にかけて!」
 凛とした強い主張は、びくびくしていた僕には絶対出来ないことであり、心に強く突き刺さる。そしてとても魅力的な姿はつい心が揺れ動かされた。
 だが、そんなに威勢のいい声を出しても、実力とは別だ。何か策はあるのだろうか。獣を倒す最善の策を。いや、あの疲れきった様子からして、あるようには見えない。
 けれども、もし――。
 一つの考えが頭をよぎる。そして、すぐにそれを振り払った。それはあまりにも今の自分にはあり得ないことだったから。それなら、早急に加勢を出来る誰かを連れてくる必要がある。
 背をジアに向けて、こっそりとその場を離れようとした。
 だが再び戦闘が激化したのか、獣の鳴き声と、ジアの叫び声が聞こえる。再び足を止めてしまう。
 視線を下ろせば、剣がある。騎士に憧れて、ずっと共に過ごしてきた、見習い騎士の剣。この村に飛ばされてからも、手入れをし忘れたことはなかった。それに手を添えるが、小刻みに震えていることに気づく。
 剣の腕は上の中くらいで、模擬演習なら多くの人を打ち負かせた経験がある。だが未だに実践では、今のように直前で躊躇いが生じてしまうのだ。
 自嘲気味に笑みを浮かべた。
 ずっと気づいてはいたが、改めて思い直すのが怖かった。
 僕は騎士となるために、重大な欠陥があるということに。それを克服しない限り、なることは難しいだろう――。
 その時、激しい音と共に、ジアの悲痛な声が耳に入ってきた。
「……っ痛!」
 思わず振り返る。背中を強く打ち、喘ぎながら地面に転がっていた。
 そんな彼女を大型獣は冷たい目で見下ろしている。そして彼女の武器でもある杖を無情にも獣はへし折った。
「無駄だ。これでわかっただろう。自ら変わろうとしなければ、変わらないんだ!」
 爪を振りかざされ、ジアに向かって下ろされた。
 次の瞬間、僕は強く背中を押され、無意識の内に柄を握りしめて、獣の前に飛び出していた。
 意表を突かれた表情をしている彼女をちらりと視界に入れつつも、剣を抜き、獣に切っ先を向ける。
 次に僕が驚く番だった。剣がいつもの細剣ではなく、太い刀身が薄い青色で輝いている、一人前の騎士が使っているものになっているのだ。
 いったいなぜ――と、思考が一瞬剣へと向けられたが、すぐに驚いて動きを鈍らしている獣へと変えた。
 そしてしっかりと剣を握りしめ、勢いよく飛び込んでいった――。


 * * *


 気がつけば、冷たい地面の上で僕は横になっていた。視線の先には葉の間から漏れる光。手をかざして、光から逃れようとした。薄暗い雲はどこかに行ってしまったらしい。
 もう少し状況を把握するために起きあがると、全身に激痛が走った。切り傷もあるが、それ以上に疲労感もあるようだ。
 そして汚れている白いマントが被せられているのに気付いた。
 白いマント――その持ち主はいったいどこに?
 そしてさっきの戦闘の結末は?
 不覚ながら、記憶にない。だが生きているということは、悪い結果ではないのだろう。
 やがて草木を踏み分ける音が聞こえてくる。その方向に視線を向けた。
「あら、ようやく起きたのね、ファンタ。よかったわ、日が暮れるまでに起きてくれて」
「ジアこそ、無事でよかった……」
 服が至る所に切れている部分はあり、左腕は赤く滲んでいるが、普通に歩いている姿から、大事には至っていないとわかり、胸をなで下ろす。
「ジア、あの大型獣はいったいどうなったんだ?」
「覚えてないの?」
 目をパチクリしながら、ジアは屈みこむ。そして渋い顔をしながら、視線を逸らす。
「かなりいいところまで行っていたけど、これは減点かな……」
「減点?」
 今度は僕が目をみはる番だった。彼女は何かを隠している。きっと思ってもいないことに。
「よくわからないんだけど、とりあえず僕がどうなったか教えてくれる?」
「いいわよ。ファンタが威勢良く出ていった後、悪戦苦闘しつつも大型獣相手に果敢に切りかかっていた。そしてある程度傷を負わせたところで、獣は逃げ、あなたは疲れたのか気を失ってしまったわけ。出てきてくれたのは嬉しいけど、人を守る立場になりないのなら、もう少し後先のことを考えて行動して」
 ジアは淡々と答えつつも突き放した言葉を出す。それに対して反論することはできなかった。獣が仲間を引き連れて戻ってくる場合もあるのだから、安全な所に移動するまでは緊張の糸を切らしてはいけない。
「普通だったら、駄目ね。本当に危険過ぎる」
「普通? どういう意味? なんかさ、僕とジアとで、考えている内容が少し違う気がするんだけど」
「そうねえ、まあ私が黙っておく段階は過ぎたから、もういいかな」
 その楽しそうに言う様子を見て、妙な胸騒ぎがしてきた。何かとても大切なことを忘れてしまっているような気がする。
「――だから言ったでしょ、私はあなたを監視しますって。それがひと段落付いたのよ。ところで、ファンタ、もしかしてその剣の秘密知らないの?」
 秘密って、これは見習い騎士に支給されるただの剣ではないのか。彼女の質問に対して、首を傾げるしかできない。それに溜息を吐かれながら、返される。
「あのね、騎士になりたいのなら、それくらい知っておくべきことよ。――その剣は、剣が持ち主の意思を汲み取って、これだと言うときに、真の力を発揮するのよ。細く弱い剣ではなくて、太くて頑丈な立派な剣に。それを出すことが、騎士になるための第一歩」
 なんだか、話の論点が見えなくなったかのような……。
「実際に起こった事件を解決する際に、その力を出してくれるのが一番いいんだけど、たまにいるのよね、剣を抜く機会すら避けるヘタレが」
 それって、さり気に僕のことを言っているのだろうか。
 確かにその機会を極力避けて、日々過ごしてきた。万が一、剣を抜かなければならなくなった際、この性格によって多くの人に迷惑をかけないために。
「そこで監視役が荒療治を起こす場合もあるわけ。それに対して、第一歩が踏み出せなければ、確実にふるい落とされるのよ」
 僕の表情は徐々に曇っていく。監視役、つまり僕ではなく見習い騎士の立場を彼女は監視していたのか?
 その時、木の葉が小刻みに揺れ始めた。それは段々と大きくなり、ついにはその揺れの元凶である地鳴りが全身に響きわたる。そして恐る恐る振り返ると、さっきの大型獣が近づいてきているのが見えた。
「ジア、今度こそ早く逃げないと!」
 しかし、彼女はそんな言葉にまったく聞き入れず、獣の方へと再度歩み寄っていた。
「ジア!」
 叫んだが、もう彼女と獣の間は爪を下ろせる範囲であった。
 すると真っ青になった僕に向かって急に振り返り、獣に手を触れた。
「逃げるって、誰から?」
 口をあんぐりと開けている僕に対して、ジアは笑みを浮かべた。
「この子は私の友達。どうして逃げる必要があるの?」
「そうだ。まったく、君がすぐにジアを助けに出てくれれば、彼女の服をこんなにも傷つける羽目にはならなかったのに」
 何かが潰れる音と共に、僕の横に何かを投げつけられる。それは潰れたトマトだった。
 ああ――、何となくだがすべてが繋がった気がした。どこまでが本当なのかわからないが、大型獣とジアの対峙は一芝居打ったのだ。僕への荒療治のために。
 そしてジアは固まっている僕に対して近づき、見下ろしながら、言い放った。
「私の村に来た見習いは今までかなりの早さで全員騎士まで押し上げているわ。その実績を無碍にしないためにも、あなたも必死になって私から出す課題や時々起こる本当の事件をしっかり解決しなさい。ただし採点は甘くしない。村長である父さんからも、厳しくしなさいと言われているから。――覚悟はいいわね?」
 ノートを取りだし、中身を見ながら、ふふっと笑う。そこにはいったい何が書かれているのか。ただ単に魔法関係をメモしたものだけではないのだろう。きっと僕にとってはろくでもない内容に決まっている。
 唖然としている僕に対して、急に重い体を引っ張られると、全身に痛みが突き刺さった。
「痛っ!」
「そんなこと言っていないで、早く帰るわよ。今日中にやってもらいたいことが他にもあるのだから。そういえば、バスケットは?」
 ニンマリとした表情を近づけられる。
 それは完全に裏を込めている顔であり、瞬間的に背筋が凍りつく。
「少し覚悟が足りないみたいね。それとも退屈だったかしら? そうね、ならもう少し面白いことがあるわ……」
 まるで悪女のような笑みだった。これ以上彼女にとって面白いことなど、命の保証が危ぶまれる。
 僕の手を取ろうとした彼女の手を振り払い、慌ててその場から逃げだした。それに対して僕の名前を呼びながら、意気揚々と追いかけてくる。
 ああ、一瞬でも彼女に気を許したのが間違いだった。やっぱり他人を振り回す迷惑極まりない少女だ。ずっと一緒にいたら体が持たないに決まっている。
「お願いだから、僕は自分のペースで騎士になれればいいから、もう構わないで!」
 だが、次の瞬間、僕は木の根っこに激しく躓いたのだった。
 





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お読み頂きありがとうございました。
某所で行われたコンテスト用に執筆したイラスト小説です。イラストについては、こちら から。
ファンタジー小説を1年ほど書いていなかったため、始めは雰囲気に乗るのが難しかったです。
また、いつもよりもかなりライトな内容となりました。刺激のあるいい機会を得られました。


(2010年11月執筆)


  

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