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独奏からの二重奏

 

 

 

 葉がすべて地面に落ちてから数ヶ月が経った。
 太陽が出ている時間も少しずつ長くなり、暖かくなる季節。
 新芽は出始め、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
 長い時間だと思っていたが振り返ればあっという間であった。
 夜が明けない日は来ない――、また春が来ない年はない。
 そんなことを思いながら、私は流行る思いを抑えながら、花屋である種類の花を購入した。


 * * *


「そうそう、俺、しばらくサークルに来ないから」
「はい?」
 秋が深まり、もうすぐ冬となる季節での何気ない会話であった。
 ギターを持ちながら、そう唐突に話を持ち出したのは、所属しているギターサークルの一つ上の先輩である、大学四年生の島沢光希(しまざざこうき)さんからだ。
 思わぬ言葉に、まともに言葉など返せず固まってしまう。ぼさぼさな髪で、ジャージを着ている島沢さんは、目を丸くしている私に対して、説明を付け足してきた。
「あとでみんなにも言うけどさ、今、思い出したから、河村(かわむら)さんには先に言っておいた」
「それは有り難いことですが、どうしてそんな急に?」
「急じゃないよ。そろそろ卒研がやばくなってきただけ。一応、サークルに行っていない時間は実験室にいるけどさ、これからやる実験が結構時間に融通が利かなくて。そろそろ本腰でも入れようと思っているんだ」
 確かに四年生の秋にもなって、三年生以下の学生とあまり変わらない長さでサークルに関わっている方が不思議である。島沢さん以外の四年生部員は週に何回しか見ないほどだ。
 思いつきのような言葉に思わず疑ってしまう。だが、この人は普段は適当な行動ではあるが、肝心なことはしっかりと決めている人である。嘘ではないだろう。
 頼れる四年生……というより、話しやすい四年生の島沢さんは後輩に呼ばれると、驚いている私を放っておいて、ギターを置いて席から離れていった。
 その時の乱雑な置き方で、ギターが椅子から滑り落ち、音を立てて転がる。深々とため息を吐きながら、使い込まれているギターを拾い上げて立てた。
 窓の外を見れば、少しずつ厚着をし始めている人が目に入る。学園祭コンサートが終わり、私たちはその反省をしつつも、次の行事であるクリコンことクリスマスコンサートに向けて、少しずつ動き始めているところだった。


 このギターサークルは、入部当初からずっと先輩がきちんと後輩に教えるため、縦の繋がりも強く仲がいい、というのが新歓で使われる言葉である。実際に入ってみて、その意味が身に染みるほどよくわかったものだ。
 大学からギターを始めた私は多くの先輩たちに、時間を費やして教えてもらっていた。そんな中で、たまたま島沢さんと出会い、一年生の時の学園祭の出し物、コンサート以外に弾き語り喫茶をやっているのだが、その時にコンビを組まれて以来、よく教えてもらっているのだ。
 昔から趣味でギターを弾いている島沢さんの元で教えてもらえることは、私にとっていい経験であった。初めての学園祭コンサートの前も、合わせて練習するためもあったが、ほとんどつきっきりで教えてもらっていたのだ。嫌な顔せずに、優しく教えてくれる姿は本当に有難いことだった。
 しかし、適当過ぎる行動、例えば約束しても遅刻するなど、逆に苛立ってしまうこともよくあったが……。


 飲み物を口に入れながら、何となく昔のことを思い出していた。一方、いつも傍にいてくれた人としばらく会えなくなると、少し――
「寂しいの、(のぞみ)?」
 心を見透かされたような言葉が突然隣から飛び込んできた。それにより喉に詰まらせて、思わずむせてしまう。
 その言葉を出した持ち主を横目で睨みつける。
「な、何を言っているのよ、奈々(なな)!」
 面白いものを見つけたかのように、彼女はにやけていた。
「別にいいじゃない。望って、本当に面白いなって。それに大学生にもなって、その反応は可愛すぎるよ」
「人が考えごとをしている時に、びっくりするようなことを言わないでよ!」
「そう? クリコンのことを考えているのなら、びっくりすることもないと思うけど……」
 その言葉にうっと思いつつも、適当に上手くあしらって、その場から難を逃れた。
 部屋の隅では、島沢さんは三年生の女子と楽しそうに談笑している。
 心の中がそわそわしている気がしたが、気分を取り直して、楽譜をめくり始めた。


* * * 


  やがて島沢さんがサークルに来なくなってから一ヶ月半が経とうとしていた。
 十二月も中頃、授業や実験で、私もどうにか時間をやりくりせざるを得ない状況になっている。隙を見つけてはクリコンで弾く曲を練習し、実験レポートを書く日々が続いていた。
 だが今日は早く実験が終わったため、陽が落ちる前に部室に行けた。
 扉を開けると、窓から夕陽が射し込んでいた。部室内をオレンジ色に染め上げ、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている。その美しい光景に見とれ、思わず入り口で立ち止まってしまう。
 時間に追われ、忘れていた様々な記憶が戻ってくる。
この部室で無我夢中でギターを弾き、時に笑い、怒り、泣いた日々が――。
「綺麗だろう」
 抑えた声量で黒板の近くからささやかれる。視線を移せば、しばらく見ていなかった島沢さんの横顔が見えた。
「俺たちが色々もがいている間にも自然界は着実に動いている。今日見られた夕陽が、明日見られるとは限らない。それも一つの時の流れだろう」
 何を思ってそんなことを言っているのだろうか。いつもと違う雰囲気、そして陽の光が当たっている横顔は普段よりかっこよく見えなくもなく、思わず鼓動が早くなる。ぼさぼさな髪は健在であり、少し疲れ切っている顔からはしばらく家に帰っていない様子が伺えた。
 気がつけば、島沢さんが小さな背の私を見下ろしている。そして私の頭をぽんっと叩いた。
「疲れた顔しているぞ。研究室に入ったばっかりで、実験が大変だって聞いているけど、あまり無理するなよ。まあそのうち慣れてくるから、安心しな」
「島沢さんだって疲れているじゃないですか。それに島沢さんは私よりも一年も長く研究室に入っていますけど……」
 今、すごく忙しそうなんだけど……。
 小さな声でつぶやく程度にしかならなかった。だがすぐに意図を汲み取ったらしい。
「俺は自分が無計画だったからこうなっているだけ。クリコンの日もちょうど実験が入って、出られなさそうだから書置き残してきた。――二月末には落ち着くから、そしたらまたよろしくな」
 ぽんぽんと、二回ほど軽く叩かれた。まるで子供をあやすかのような仕草に、少しだけむっとしてしまう。だがそんな感情とは裏腹に、久々の会話は嬉しかった。
「それじゃあ、少し早いけど、良いお年を」
「は、はい、良いお年を!」
 反射的に答えたが、言った直後に後悔する。何か、他に、何か言葉を――。
 背を向け、部室から出ていく前に、再び口を開いた。
「島沢さん!」
 不思議そうな目をしながら振り返られる。逆光になっているため、どんな顔色になっていてもばれないだろう。
「あ、あの、私も色々と煮詰まっていて、サークルの運営も上手く判断できるかわからないときがあるので、もし良かったら、メールでもしていいですか?」
 いったい何を言っているのか、自分でもわからない。きっと文字に起こしたら、ひどい内容になっているだろう。それでも最後の言葉を伝えたかった。
 始めはきょとんとしていたが、すぐに微笑んで返してくれた。
「返信が遅くなってもいいのなら、サークルだけじゃなくても、いつでも連絡してもらって構わないよ。それじゃ、また。お疲れさま」
 軽く手を振られながら、島沢さんは部室を後にした。
 ほんの少しのやりとりではあったが、私の心の中はささやかであるが満たされていた。


 * * *


 

 クリコンが終わり、年も明け、四年生が卒業するまであと数ヶ月となっていた。その間、多くても一週間に一度くらいはサークルの状況を伝えるメールを送っていた。研究だけでなく、論文執筆、発表会準備という、多忙な日々を島沢さんは過ごしているため、邪魔にならない範囲と思って送っている。
 そんな中、卒業コンサート後に渡す、色紙を書いていた。やはり一番過ごした時間が長い、一つ上の先輩がいなくなってしまうのは、とても寂しいものだ。その想いも込めて、色紙にコメントを書き綴る。
 やがて、ある一枚の色紙を手に付けて、ペンを走らせるのを止めた。
 “島沢光希さん”と書かれた、その色紙にはすでに多くの部員がコメントを書いている。ある男子は荒々しい字ながらも面白い内容を、ある女子は丁寧な字で懐かしい日々を思い出すような内容を書いていた。
 そして多く占められている内容が、『院に進んでも、頑張ってください!』だった。
 島沢さんは理工学部の大学生。大学を卒業後は大学院に進んで、研究を続ける。ただし他の大学で。
 新たな刺激を求めるためにと言い、夏の入試を受験し、合格していたのだ。
 つまり一緒に過ごす時間は残りわずかしかないと言うことだった。そう考えるとなぜか焦りが生じてくる。
 ペンを握り、書こうとするが、言葉が思い浮かず、進まない。周りにいる人間はさらさらと書きながら、コメント欄を埋めている。
 とにかく書かなければと思い、ふと思いついた言葉をどうにかして書き綴った。 

* * *


 二月下旬、卒業コンサートの最終準備のために、卒論を書き終えた四年生が再び集まり始めていた。最後に戻ってきたのは、島沢さんだった。
 より痩せたように見えたが、言葉は以前と同じように達者で特に心配する必要はないようだ。
 そして肩慣らしに一曲弾いたのを聞いたが、全然鈍っているようには見えなかった。
「もう弾きたくて、弾きたくてしょうがなかったから、脳内で練習していた!」
「何だそれ! まったくお前は器用な奴だ。それにしても、卒論提出がギリギリだったらしいな。先生がおたおたしながら歩いているのを見たぞ。お前、計画性というものはないのか?」
「俺にあるわけないだろうー。実験が発表の一週間くらい前に終わったんだぜ? それから発表会までほとんど徹夜」
「……お前って馬鹿だろう、本当に!」
 四年生の男子同士、馬鹿なことで盛り上がりながら、笑っている。そんな様子を周りも微笑みながら見ていた。
 そうか、このやりとりを聞くのも残りわずかなのだ。
 久々に見る様子に思わず目を止めつつも、溢れようとしている想いを考えないようにしながら、黙々と曲の練習をし始める。
 席は隅を取っており、人目から阻むような場所にいた。何度も弾いてみるが、どうにも上手くいかない。一度ギターを下して、楽譜と睨めっこした。
 原因はいったい何だろうか。少しずつ眉間にしわが寄っていく。
「なあ――」
 指の使い方が悪いのかな。
「――河村さん」
 あ、コードを読み違えていた。思い込みで弾いていたみたい。
「河村さんったら!」
「はい!?」
 うるさいなと思い、呼ばれた方に向くと、島沢さんが目と鼻の先にいた。
 思わぬ近さに、椅子に座っているにも関わらず、音をたてて後退りをした。その衝撃でいくつか荷物が落ちたのは言うまでもない。大きな音を出したからだろう、周りから視線が集まっている。恥ずかしさを隠すのかのように、視線を逸らす。
「なんですか、いきなり!」
 くすくす笑い声が聞こえているが、心を無にして受け流す。
「んーと、久しぶりって思ってさ」
「……お久しぶりです。お元気そうで何よりです。……それだけですか?」
 なんと可愛くないことを言っているのだと、自分でも思ってしまう。
「いや、三年生は学年合奏と全体合奏だけだよな、卒コン。……少し時間あるかなって」
「時間?」
 言葉を解釈している隙に、耳元でささやかれた。
「俺と一緒に、また弾かないか?」
 そしてすぐに顔は離れ、にかっと笑われた。そのあどけない表情に思わず見とれてしまう。何も意識をしていないのだろうから……ずるい。
「……そんな急に言われてもプログラムとかの問題があるじゃないですか。急すぎですよ、本当に」
 大学会館を借りてやり、プログラムも業者に頼んで印刷しているコンサートのため、すでに決まっているものは決まっている。
「ああ、あとで訂正版を載せるはめになりそうだが。俺と二重奏やろうって言っていた同期が、どうしても無理って言ってきて。いい気になって何曲もやろうとするからさ」
「けど私なんか――」
「俺は河村さんとやりたいんだ」
 力強い視線と、言葉を出されて、楽譜を手渡された。それは初めての学園祭の弾き語り喫茶でやった曲であった。目を瞬かせながら、手に取る。
「こんな曲でいいんですか?」
「こんなって失礼だな。昔、河村さんがやったのは、音をだいぶ減らしたもの。これが本当のスコアだ。大丈夫、今ならもうできるよ。無理を言っているのはわかっているけど、駄目か……?」
 覗き込んでくる瞳がいつも以上に吸い寄せられてしまう。
 少し躊躇ってしまったのは何故だろうか。
 きっと楽しい日々を過ごした後のことを考えると、辛いのは目に見えている。
 だがそんなことより、せっかくの機会なのだから、始めから断るつもりはない――感情の方が大きかった。
 春休みに入っているため、研究室に縛られることもあまりない状況。大丈夫、時間なんて作ればいいのだから。
「……私でよければ引き受けます」
 おずおずと返事をすると笑顔で返された。


 もうわかっていた。
 わかっていたけど、気づかないふりをしていた。そのまま心の奥に潜めて、何事もなかったかのようにしたかったのだ。
 けれども距離を置かれて、気づかざるを得ない状況になってしまった。
 いつもいるのが当たり前のような存在。それが当たり前と思い続けていたが、実際は違う。ずっと続いていくなどあり得ない。
 その事実に気づき、私は急に意識をし始めたのだ。
 島沢光希さんと言う、一人の男性の存在に――。
 適当すぎるし、約束しても遅刻するのはあるし、その無計画性に振り回されるときがよくある。
 しかしそんな人でも、おおらかという表現があっているのだろうが、常に他人を気にかけてくれてくれる様子から見ても、優しい人だというのは認めていた。
 それは私だけでない、他の部員に対しても、誰でも――。


「望、恋する少女の顔になっているよ?」
 遠慮なく言葉を出す友人に口をとがらせた。
「違うって!」
「そうなの? 顔が赤いよ?」
 楽譜を渡されて、島沢さんは別の場所で独奏の練習をしている。その隙を狙ったかのように、奈々はむふふと笑いながら近づいてきた。
「大丈夫だよ。確かにいい先輩だけど、それ以上に求めている人はいないから」
「何が言いたいの。だから、違う!」
「ツンデレもほどほどしたほうがいいよ。――さてそろそろ卒コンか。四年生との思い出作りも最後。いい発表にするためにも、夢見すぎず、後ほど三年生内で合わせようね」
 本当にこの友人はいったい何をしにきたのだろうか。頬を少しだけ膨らませた。
 背中を向けられたが、言い残しがあったのか再び振り返られる。
「あ、そうそう。四年生へ花束やプレゼントを渡すの、三年生だけど、今回は個性を持たせるためにそれぞれ買う方式になったから、用意しておいてね」
「そんなのいつ決まった? 私って誰かに渡すの?」
「先週のミーティング。望、熱でダウンしていたときに。――渡す相手は決まっているでしょう、島沢さんよ、よろしくね」
 さも当然のような顔で言われ流された。
 それから何の花を買えばいいか、悩みの種が増えたのは言うまでもない。


 * * *


 その後は、時間を作って必死に練習をし、夜も遅くまで残って特に二重奏の練習を重点的にしていた。島沢さんはそこまで無理しないでいいから、俺が適当にカバーするからと、何度も言ってくれたが、それに頼りたくはない。走りすぎて弾くときは注意されたが、わからないところを聞けばすぐに優しく指導してもらえた。
 ささやかではあるが、期限付きの嬉しい日々が続いていたのだ。
 一つだけやられたことがあった。印刷されたプログラムを見たのだが、始めから島沢さんとの二重奏は私の名前が書かれていた。修正が間に合ったのかは定かではないが、始めから載せていたのなら、本当にずるいとしか言いようがない。


 いよいよ卒業コンサート当日を迎えた。
 ギリギリまで考え抜いた結果、前日に花屋に行き、ある花を中心として、花束を作ってもらった。他にも春の花がたくさん売られていたが、それ以上に想いを込めて、あえて選んだのだ。
 初めて公な場で二重奏を弾くという不安な気持ちもあったが、それをはねのけるかのように私は元気よく家から飛び出ていった。
 大学会館に到着し、準備を終え、正装に着替えて楽屋に行くと、視界に島沢さんの姿が入った。きちんと髪を整え、正装でもすればそれなりに見栄えはする。その姿が常であったら、惹かれる人も多くいたかもしれない。
「いよいよですね……」
 呼吸を抑えながら近づいていく。島沢さんは第一部中盤で私と二重奏を弾いた後、第二部のラストで独奏を弾く。第三部で弾く合奏以外の曲目では、ラストとなる。
「まあ何とかなるさ。河村さんこそ、リラックスしていけよ。これはあくまでも過程だから。俺のことは気にせず、次に繋がれる曲が弾ければいいんじゃないかな」
「そうですね、ありがとうございます」
 そう言われたが、島沢さんと一緒に弾くのは最後なのだから、余計に緊張してしまう。
 するとぽんっと頭を叩かれた。顔を上げると、白い歯を覗かせている島沢さんがいた。
「楽しもう」
 言葉数は多くはないが、その一言が何よりも私を元気づけてくれた。


 結果として、二重奏はどうにか乗り越えて弾き終えたという感じであった。ミスをしかけたが、それを島沢さんがカバーをしたため、事無く終えている。やはり時間がないのに、引き受けるのは無茶だったかもしれないと思いつつも、一緒に弾けたことが、本当に嬉しかった。
 いつのまにか、島沢さんは弾くときに隣にいるだけで安心する存在になっていた。
 だから一緒に弾いている時も、落ち着くことができたし、音を預けられた。
 やがて第二部のラスト――島沢さんの独奏を舞台袖からそっと見届ける。
 いったいどこで練習をしたのかというくらい、本当に上手かった。勢いがあり、緩急も付いており、そして何より途切れることがない安定感。聞いている人が楽しく、音を一緒に紡ぎたくなる曲調。私との二重奏とのレベルなど比べるものではない。
 弾き終わると、大きな拍手が耳に入ってきた。私もだが部員一同、そして観客が手を叩いている。そして満足そうな島沢さんの顔を見て、一筋の涙が流れていた。


 大歓声の中、すべての曲目が終わり、小さな楽屋で簡単な挨拶の後に、卒業生に対して色紙と花束が贈られた。まだ打ち上げや卒業式もあるので、最後ではないが区切りとしてこの場でやっている。
 島沢さんが話を終えると、私は前に出て色紙と買ってきた花束を手渡した。
 オレンジや黄色を中心にした明るい花束に少し照れくさそうだ。
 主はオレンジ色で大型の四花弁を開いているハナビシソウ――別名カリフォルニアポピー。見ているだけで明るくなりそうな花であり、素敵な想いが込められている花であった。


 やがて片づけた後に鍵を返し、急いで外に出た。奈々が待っているようなことを言っていたが、先輩に絡まれていたのを思い出し、仕方なく一人で打ち上げ会場に向かう。
 不意に青年が電灯の下で携帯をいじっているのが見えた。見覚えのある顔におそるおそる近づく。
「島沢さん、何をしているんですか、こんなところで」
「いや、高木さんに頼まれて。夜も遅くて心配だから、河村さんと一緒に来てくださいって」
 高木……奈々。部内で親しい友達、もとい、すぐに人をからかう人物。余計なことをしなくてもいいのに。
「お疲れさん。飲み会に行こうか」
「はい……」
 歩き出そうとした矢先に、右手に持っていた紙袋を取られた。
「あ、あの……!」
「別に軽いから気にしないで」
 そう言うと、すたすたと歩いて行ってしまう。慌てて追いつき、並んで歩き始めた。言葉を選びながら、話しかける。
「すみません、ありがとうございます。……す、すごく良かったですよ、独奏。あんなに上手いのに、どうして今まであまり公の舞台で弾かなかったんですか?」
「どっちかというと、楽しく弾きたい派だから。俺はめったに本気は出さない主義なんだよ。今回はいい機会かなと思って、弾いてみただけ。というか、無理矢理同期に曲目に入れられたって感じ」
 つまり四年生は河村さんの実力をよく知っていたらしい。そうですよね、最後のコンサートなのだから、上手い人を弾かせたがるのは道理だし、思い切って弾いてほしいですよね。
「河村さんも本当に上手くなったな。二重奏の相手に選んで良かったぜ」
 褒め言葉に心浮かれたが、冷静に相槌を打つ。
「いえ、結構ミスしましたよ? それを島沢さんがカバーしてくれたと言いますか……」
「そうだっけ? 気付かなかったなあ。まあ完璧な人間なんていないし、俺としてはあの二重奏で満足」
 一つ一つの優しい言葉が、私の心の中に刻まれていく。貴重で、最後の時間――。
 不意に島沢さんが、紙袋から私が渡した花束を抜き取った。そして不思議そうな顔でハナビシソウを指す。
「俺、花とか全然詳しくないんだけど、これって何の花?」
「ハナビシソウと言って、別名カリフォルニアポピーと言われている花です。明るくて、素敵な花だと思ったのですが、気に入らなかったですか?」
「いや、綺麗な花だよ。ありがとう。なあ、これにした理由ってそれだけ?」
 その言葉に思わず返答をし損ねる。即座にそれだけですと言えばいいのに、なぜか躊躇った。すぐに返さなかったためか、意味深な顔で見てくる。それから視線を逸らす。
「そ、それだけです!」
「本当?」
「そうですよ!」
「いや、それ以外にも何かありそうだな。相方に隠すことはなしだぜ」
 相方って、嬉しい言葉ですが、意識されていない人から言われても嬉しくないんですけど!
 頭が混乱状態になり、むすっとしながら、島沢さんを見返した。
「もう一つだけ、選んだ意味ありますよ!」
「どういう意味だ?」
「花言葉です!」
 言った直後にまたも後悔した。もはや意味を深く考えてまで花を購入するなど、気があると本人に言ったも同然だ。
 もうしょうがない。
 素直に、けれど肝心なことは隠しながら話してしまおう。
 ポツリポツリと街灯が付いている道の中で、私は口を開いた。
「この花の花言葉の一つとして“希望”というのがあるのです。これから別の地で頑張る島沢さんに、いつまでも希望を持ち続けられますように、そして将来にいいことがありますようにと、希望を込めて――」
 そっと表情を下から覗き見ると、驚いたような顔をしている。驚かれてもしょうがないと思い、視線を地面に下ろしながら歩き続ける。
 だが急に手を握られ、数歩下がるように引っ張られた。
「聞いていなかったか。……俺、院はこの大学に行く」
「え?」
「二月入試で受けていたんだ。その後、色々考えて、結果として、このまま上に進むよ」
 そして後ろからぎゅっと抱きしめられた。温もりが直に伝わってくる。島沢さんの体が密着している。鼓動が早くなるのが止まらない。
「もう駄目だ。こんなことまでされちゃ、意識するなって言っても無理だろう。大事な後輩だから手を出さないつもりだったのに」
 私だって、近すぎるからあえて意識したくなかった――そう言いたかったが声が出てこない。
「――院に進んでも、サークルには顔を出す。……だから、また一緒に二重奏やらないか?」
 ぶっきらぼうだが、優しい言葉。私にとっては最上級の告白のされ方。
 後ろから抱きしめている、ギターのコードを余裕で抑えられる大きな手をそっと触れた。
「……よろこんで」
 微笑みながら小さく呟くと反転させられ、不器用ながらも、唇を優しく重ねられる――。
 星の光が輝く中での、ほんの少しの時間ではあったが、私たちの独奏であった想いが、二重奏へと変化したのには決定的であった。
 それをハナビシソウは控えめにお祝いをしているかのように、漏れ出ている光に照らし出されていた。
 

 



 了
 
 





――――――――――




 お読みいただき、ありがとうございました。
 この作品は、「Smile Japan.」参加作品であり、被災者の皆様を始めとして、少しでも多くの方々が笑顔になれるような小説を執筆したものです。
 笑顔というより、微笑みよりの内容ですが、くすりとでもして頂ければ、作者としてとても嬉しいです。

 作中に出てくる花、ハナビシソウ、別名カリフォルニアポピーですが、内容でも触れました通り、花言葉は様々ある中の一つとして“希望”というものがあります。
 またあるサイトでは、3月11日の誕生花でもあり、一見はかなげに見えますが、乾燥や寒さに強く、とても丈夫な花だそうです。

 そのような想いも含めまして、執筆させていただきました。
 少しでも楽しんで頂ければ幸いです。どうもありがとうございました。

 【参照:ハナビシソウの花言葉】
 http://www.ffj.jp/hanakotoba/hanabisi.htm

 (2011年3月執筆) 
  

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