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● 導きの花束 --- 4、思い出の始まり ●

「晴ちゃん、少しだけ言わせてもらう」
 ベンチから立ち上がった豆ちゃんは、私と桜並木の間に立っていた。
「自分の奥底に埋まっている気持ちを大切にした方がいい」
「奥底って……」
「私も色々と悩んだことがあった。何かを好きということと他に湧き上がる想いとの板挟み――。想いを突き動かしたきっかけがどんなに些細なことだとしても、それに沿うべきだと思う。想いを大切にして」
 風が吹き、桜の花びらが舞った。私の髪も風によって揺らされる。
 豆ちゃんは静かに微笑を浮かべた。
「きっかけなんて些細なこと。そしてその自分の想いはどんな困難にも立ち向かえることができるはずだよ」
 笑顔の豆ちゃんは誰よりも綺麗に見えた。出会ったばかりの私にこんな言葉を投げかけてくれるなんて……彼女は一体――。
 胸の奥がそことなく苦しくなってくる。
 ふいに豆ちゃんは自分の鞄を持って、私に背を向けた。そしてまだ大勢の人が歩っている新歓ロードへ歩き始めた。慌てて後を追おうと思い鞄を持とうとすると、寂しそうな瞳を送られて制止される。
「豆ちゃん……?」
「一つ、黙っていたことがあった」
「何?」
「ごめん、時間が来ちゃった。ここでひとまず私はあなたとお別れ」
「はい?」
「私ね、実は――――」
 急に激しい突風が吹いた。
 春の嵐かと思われるその風に、思わず目を閉じてゴミが入らないようにする。突き刺さる細かなものが痛い。
 すぐに風は止みそうになるが、最後に顔に何かが覆い被さってきた。
「うわっ!」
 たいして痛くないが、思わず声を上げてしまう。
 風が止んでから、顔に当たったものをじっと見た。
 それは十本以上包んである、スイートピーの花束だった。仄かなピンク色が綺麗で、思わず見とれてしまいそうだ。
 すぐに顔を上げて、さっきまで一緒にいた友達を追おうとした。
 だが、新歓ロードには疲れながら歩いている人たちだけ。
 快活に私を引っ張ってくれた女性の姿はどこにも見当たらなかった。


 * * *


 豆ちゃんが突然去った後、必死にずっと探し回ったが見つからなかった。まだアドレス交換すらしていない事実に愕然としている。
 一体何を言おうとしていたのか、どうして突然いなくなってしまったのか、という疑問が頭の中を駆け巡る。
 だが時間と言うのは無常で、すぐにオリエンテーションが始まる時間となった。しぶしぶ会場に行って、学科の簡単な説明を聞き、履修用冊子を受け取る。
 外を見れば、陽は徐々に傾き始め、一、二時間程度で夜を迎えるだろう。
 豆ちゃんは一種の風みたいな人だった。
 突然現れて、突然消える。
 まるでこのスイートピーの花束が、豆ちゃんであるかのような錯覚にすら陥ってしまいそうだ。
 もっと話したかったが、しょうがない。
 あの出会いは偶然だったのだから。
 深く息を吐いた。
 早めに家に帰ろうと思い、冊子を手提げ袋の中に詰め込んでいくと、途中で一枚の紙が床に静かに落ちる。
 拾い上げると、それはバドミントン部のチラシだった。
 思わず練習時間に目がいってしまう。時間は……そろそろ練習開始らしい。
 豆ちゃんの言葉が頭の中を反芻(はんすう)する。
 ――自分の想いはどんな困難にも立ち向かえることができる……。
 このチラシを他のサークルと同様にできないのは、まだバドミントンへの想いが果てていないからかもしれない。大学まで行って、本気で競技に集中するなんて、世の中を見渡せばあまりいないだろう。
 それでも何か胸の奥に引っ掛かっているものがある。
 ひとまず体育館に足を運んでみようかな。そうすればこの引っ掛かりが取れるかもしれない。
 正直、一人で向かうのは少し勇気がいる。
 でも何だろう、ここで行かなかったら絶対に後悔するような気がした。
 考えるのは後でいい。とりあえず今は見学してみよう。十分程度でもいいから。
 そして、ゆっくり体育館の方向に体を向けて、歩き始めた。
 他の人たちもサークルの見学や新歓などに参加しているため、校内はまだ人で若干ざわついている。それを横目で見ながら体育館に行く。
 体育館は校舎の裏にあり、地図を見なければちょっと迷ってしまいそうだ。
 暗くなっている周りに反発するように体育館から光が漏れている。
 入口にゆっくり近づく。
 鼓動が上がる。
 一人で見学に行くことがこんなにも度胸がいるなんて、私ってつくづく心が弱いな……って思ってしまう。
 ようやく入口に着いた。その入口には新歓ロードで見た、看板が立てかけられている。場所は間違っていないだろう。
 だが玄関に人の気配はない。
 もう少し近づいて見ようと思い、足を伸ばすと急に体育館の内ドアが開いた。
 びくっとすると、さっき勧誘していたお姉さんが立っている。思わず逃げ出そうと思った。だがお姉さんは私を見るや否や、すぐに飛び出してくる。
 そしてがっちり手を握られた。
「あなた、さっきの新入生よね!?」
「は、はい……」
「見学希望?」
「一応。ひとまず見学してみようかと……」
「いいよ、ひとまずで。さあどうぞ!」
 手を引かれながら、体育館の中に足を踏み入れる。そこには先ほどのお兄さんを始めとして、十五人くらいの部員が準備運動をしていた。
 一斉に視線が向けられる。どぎまぎしながら、その視線から避けた。そして入口にあった椅子に座るよう促され、腰を掛ける。
「さて、改めて詳しく説明しようか。……あ、私よりもっと適任がいるか。ちょっと待っていてね」
 そう言うと、女子更衣室の方に入って行った。ちらっと体育館を見渡したが、女子部員はいない。
 何だか息が詰まる思いで待っていると、すぐにお姉さんは少し茶色に染めている長い髪をポニーテールで結んだ女性を連れてきた。
 その人は私を見るなり、にっこりと微笑んだ。
「やっぱり、来てくれた」
 出される声に私は耳を疑った。豆ちゃんと同じ声だったのだ。
「ああ、私は川田佳実(かわだよしみ)。またの名を――豆田甘実」
「ええ?」
 はっとして口を押さえる。目の前にいるのはバドミントン部の人であるが、豆ちゃんというのはどういうことだろうか?
 豆ちゃん――いや佳実さんが少し得意げに話し始めた。
「この大学の新歓祭をやるにあたって、新歓ロード以外にもいくつか特徴があるのよ。その一つとして、各部活・サークルから何人か出して新入生に成り済ます、と言うことがあるの」
「どうしてそんなことを……」
「一人でいる新入生を寂しくさせないための行為らしいよ。そんな人と一緒に行動するよう言われているの。実際、あの新歓ロードを一人で歩くのは度胸がいるしね。ただし条件として限られた時間と自分の本性を明かさないことがある」
「まったく佳実ったら、時間ぎりぎりまであなたと一緒にいるから、こっちもそわそわしたわよ。しかも最後の去り方が――何て無理矢理」
 お姉さんが笑いを堪えながら、口を挟んでくる。
「千里さん、そんなこと言わないで下さいよ。こっちも色々あったんですから」
「スイートピーの花束を渡すなんて、何でそんな手の掛かることをしたの?」
「晴ちゃんがお母さんと一緒にスイートピーを買ったからですよ。それにスイートピーの花言葉はこんな日にぴったりなんですよ」
 何だか要点が掴めなくなってきた……。
 手提げ袋の中にはチラシと一緒にあのスイートピーの花束が入っている。そのままにしておくわけにも行かずに持ってきたのだ。
 佳実さんが再びこっちを向いた。
「晴ちゃん、私のこと覚えてないよね……」
「えっと、豆ちゃんではないのなら、どちらさまでしょうか?」
「私たちが一年生の時に一度試合をしたのよ。まあその時は私が勝ったけど、やけにしぶとくシャトルを拾う子だな……って印象に残っていて。その後たまに試合では目を追っていた。二年前のインターハイ県予選会の時も、たまたま競りまくっているあなたの試合を見たのよ」
「……あの試合を?」
「そう。そしてその後の泣いている姿も。その姿、鮮明に覚えているわ」
 それを聞いて、顔が赤らんできた。思ってもいない所で見られたことにどこか恥ずかしさが感じられる。
「私の実家、花屋をやっているのよ、この前たまたま晴ちゃんのお母さんが買ったお店を。その時に晴ちゃんをちらっと見て、そしてお母さんが話しているのを聞いて同じ大学に入学するって知ったんだ。それで今回祝福と勧誘も兼ねて近づいた。……それで、だいたいわかった?」
「何となく……」
 変に肩の力が抜けてしまった。
 佳実さんと試合をしたり、あの試合で泣いたことなど……全ては偶然が重なったことの繰り返し。そして言い換えればそれは必然の出会いだったのかもしれない。本当にきっかけなんて些細なことだ。
 そして何より、私のことを見て、覚えていてくれたのが嬉しかった。
「ねえ晴ちゃん、いえ杉森さん、今日はゆっくり見学して行ってね。何か質問があったらいくらでも答えるから」
「ありがとうございます」
 佳実さんの笑顔も私の心を温かくしてくれる。
 ここなら、私がいても大丈夫かもしれない。
 キャンパスライフを色々な意味で充実できるかもしれない。
 ――そう心が言っているような気がした。
 スイートピーの花束が手提げ袋の中で佇んでいる。
 思わずほっとして、見とれてしまいそうな花たち。


 そんな、バドミントンへの想いを改めて思い直す、ささやかなきっかけとなった花束に感謝したい――。






 了





 
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